2007年 卒団生のメッセージ
                 
                   左から曽根裕子、佐川朋子、長谷川真弓
      

      今年は3名の団員が卒団しました。2007年5月4日の「第10回ヨーロッパ演奏
      旅行 帰国コンサート」プログラムより掲載します。


        ●曽根裕子    筑波大学 人文・文化学群 比較文化学類 1年
        ◎母  和子   

        ●佐川朋子    お茶の水女子大学 文教育学部 人間社会科 1年
        ◎母  里美

        ●長谷川真弓   常葉学園短期大学 日本語日本文学科 1年
        ◎母   人三


        
●曽根裕子
「やった!これでアフリカの方々ともコミュニケーションがとれる!」以前、ウガンダの「ワブブミラ」という曲を初めて歌った時の、私の感想がこれでした。今思えば全く浅薄な考えだけれど、その時はただ純粋に嬉しかったのです。あの頃の私でも、歌は自分の心を映す鏡であり、心と心の架け橋となるものだということを、感じていたのでしょうか。
 私は小学校一年生の時合唱団の門を叩き、当時は同じクラスだった姉にくっついて、持ち前の飄々とした態度でマイペースに歌っていました。しかし中学生にもなってくると学校での友人関係などで悩み始め、その影響は自分の発声にも及び、挙句練習を止めてしまったこともありました。学校より充実した体験ができ、仲間同士で高めあえる合唱が好きで、どうしても学校中心の日本の教育制度を恨んだりもしました。今の私から見ると、自分の弱さを棚に上げて周りに逆恨みしている、随分嫌な子供だなと思います。けれど戸崎先生はそんな私を時に叱り、時に慰め、いつでも相談に乗って下さいました。合唱団に入っていたからこそ、今の自分があるのだと実感しています。こんなに若い頃から自分のことを理解し、現在の自分を見守り、未来の私を信じてくれる人がいる、ということがどんなに幸せなことか、当たり前の様に甘えきってしまっていたその幸せがどんなに「有り難い」ことか、卒団する今になって気付くようになりました。
 そして先日は、昨年参加を辞退したヨーロッパ演奏旅行へ、先生のご厚意で参加させていただくという僥倖にも恵まれました。この貴重な体験を通して、人々の間に浸透する音楽を始めとした文化に対する興味が一層深まり、今後の自分の選択にも大きな影響を与えてくれました。
 本当に感謝は言葉に尽くせないけれど、今まで私を支えて下さった先生方、両親、沢山の仲間達に心からのありがとうを、そして私を育んでくれた静岡児童合唱団の更なる活躍をお祈りしつつ、卒団の挨拶とさせていただきます。
◎曽根和子(母)
 裕子は小学校1年から合唱団にお世話になりました。すでに合唱団に入っていた姉の可奈子にくっついて、小さな体で鞄を引きずるように歩いていたことを思い出します。水筒も二つ、軽食も二人分、合唱鞄も二つ、何でも二人分。喧嘩をすることもなく、姉妹は二人で助け合っていたのではないでしょうか?
 初めのうちはおねえちゃんが行っているから、お母さんに言われたからというだけで、「ただの習い事」という意識だったと思うのですが、裕子の中でだんだん、合唱団の占める位置が大きくなり、先生と合唱団の仲間がこの上なく大事な存在になっていきました。
 それは裕子に限ったことではありません。合唱団の行事のたびに、卒団生が応援に駆けつけてくださることを見ても、ここで過ごした数年間が、それぞれの人に大きな意味を持ち、それが現役の生徒たちへの励ましになるのだと思います。
 小学校から高校までというのは、その人の人格形成期に当たります。この時期にどういう大人に出会うか、どんなお友達と親しくなるかは、その人の価値観や考え方に決定的な影響を与えると感じています。そういう意味で、この大事な時期に合唱団で常に戸ア先生、廣乃先生、文葉先生に見守られていたことは子どもを強くし、そして合唱団の底に流れているおばちゃん先生の価値観は子どもに確実に伝わっていると思います。
 この難しい時期に、子どもとずっと付き合って下さる先生方には本当に感謝しています。親の言うことは聞きたくない、親とは話したくないと思いがちなこの時期に、戸ア先生が学校のこと、先生のこと、友人のことを聞いてくださっていると思うと、親は何も言わない方がいいかなと思うことができました。
 末娘が合唱団を卒団し、私の子育てもひと段落というところです。長い間、子どもを見守ってくださった先生方に心より感謝いたします。
●佐川朋子

私が合唱団に入団したのは小学校三年生の頃でした。以来、九年間、合唱団で“歌う”ということを通じて様々なことを学び、他ではできないような数多くの経験をさせて頂きました。
 私は先生に本当にたくさんご迷惑をおかけしました。今思い出すと、笑ってしまうくらい、毎週のように叱られていました。私が何回同じ事を繰り返しても、先生は途中でこんな私を見捨てる事はなく「頑張りなさい」と陰ではいつも支えて下さいました。
先生は音楽に対して、決して妥協されることはありません。それは、私たち団員と接するときも同じです。先生は一人一人とちゃんとまっすぐ向き合って、私たちの事を常に真剣に考えて下さいます。だからこそ、私もここまで続けてくることができました。先生と付き合っていくうちに自然と「どんな時も、何があっても自分自身から逃げてはいけない。自分に負けてはいけない。」と心に誓うようになりました。私の心が不安定になれば、誰よりも早く見つけ出し、渇を入れ、軌道修正して下さる先生が傍にいらっしゃるーそんな先生に出会えた事が何よりの幸せでした。自分が今までどれだけ深い愛情を先生から受けて育ってきたかが、今ではよく分かります。
 今年の三月、私は先生のご厚意により、受験で長く休んでしまったのにも関わらず、ヨーロッパ演奏旅行に参加させていただく事ができました。久しぶりに練習に行かせていただいた時、本当に私も歌っていいのだろうか、足手まといにならないだろうか、と思うくらい、九月とは全く違うみんながいました。八月にイギリスとブルガリアへ行けなかった事はとても悔しかったけれど、逆にこれで良かったのではないかと思います。半年間練習期間が延び、前よりも成長した姿で、憧れの地・ブルガリアのステージに立てました。きっと八月に行くより、ずっと多くのことを、それぞれが身体で感じ、学んでこられたと思います。
 私は、これから将来の夢に向かって、新しい第一歩を踏み出します。今まで合唱団で学んできた事を生かし、先生方のような素敵な女性になれるよう、努力していきたいと思います。今まで支えてくれた家族、一緒に歌ってきた合唱団のみんな、本当に感謝しています。そして、先生方、長い間お世話になり、本当にありがとうございました。これからも宜しくお願い致します。
 

◎佐川里美(母)
 小学生だった朋子が、今春、大学生になって、卒団を迎えるにあたり、戸ア先生に出会え、ご指導いただけた幸せを親子共々しみじみと感じております。練習生になる時、「朋ちゃんは、お休みが多いから、これからは、少しくらいのことで休まないように」という先生のお言葉に、卒団まで継続していく自信は、あまりありませんでした。中学生になれば、部活もあるし、とりあえず、それまで頑張ってみようかという気持ちで、土、日の練習に通いはじめました。ところが、その後、一度もやめたいということはなく、むしろ週末が待ち遠しい、風邪をひくと皆にうつしてしまうから休まなくてはならない…と、手洗い、うがいを励行し、健康管理に気を使うようになり、学校を欠席することも殆どなくなりました。また、文葉先生に英語を教えていただくようになってからは、先生のお宅に通える日が増えたことを喜んで、いつのまにか英語が得意科目になりました。多感な思春期に、深い愛情と音楽を通して人を育てるという強い信念をお持ちの戸ア先生のもとで、なんの迷いもなくのびのびと合唱と学校生活にうち込めた朋子は、本当に幸せです。メサイア、マタイ受難曲などの大作に取り組み、大変な努力と練習で見事にコンサートを成功に導いて下さったことは、子供たちの自身につながりました。また、なんと言っても昨年の8月にスーツケースの鍵を先生にお預けし、あとは出発するばかりという時に起きたイギリスのテロ未遂事件は、衝撃でした。苦渋に満ちた表情で「みんなの命が一番大事だから、今回の演奏旅行は中止します。」ときっぱりおっしゃった戸ア先生が、思わず涙を流された時、子供たちは、悔しさ、残念さに押しつぶされそうになりながらも、先生のお気持ちに心を合わせる事ができたと思います。懸命に努力し、厳しい練習を重ねてきたにもかかわらず、不可抗力で思い通りに進めないこともあるという現実に直面したのです。それを皆で乗り越え、その後より一層いいステージにしたいという意欲を持って練習を再開し、9月の平和の歌声コンサートを成功させた子供たち・・この経験は、将来、困難にぶつかった時に、きっと大きな礎となってこの子達を支えてくれると信じます。今春のブルガリア演奏旅行は、受験の為あきらめた朋子でしたが、前期試験の結果次第というラストチャンスを与えていただき、幸運にも参加させていただくことができ、合唱団生活を悔いなくしめくくることができました。戸ア先生、廣乃先生、文葉先生の暖かいご配慮に改めて感謝するしだいです。有難うございました。合唱団のますますのご発展と先生方のご活躍とご健康を心よりお祈り申し上げております。
長谷川真弓
 祖母が、歌が大好きで「習わせたい」と願い私は、五歳から合唱団に入団させて頂きました。その頃は、身体が弱く喘息で入院してしまいお稽古へ行けない日が多くありましたが、毎週のお稽古がとても楽しみでした。あれからもう十三年の月日がたってしまい、その間に沢山のことを経験しそして、教えて頂いて多くのことを学びました。その中の一つが、ヨーロッパ演奏旅行です。私は、第八回から二回参加させて頂きました。その国の文化や歴史にふれあって知ることも沢山あったし、自分の欠点を改めて再確認した旅であったと思います。また、日本から離れてそれまで経験出来なかったこと、これまで知らなかったこと等色々ありました。ですが、先生方がその国の様子や、先輩方が行ったヨーロッパ演奏旅行でのことを話して下さり戸惑うことなく過ごすことが出来ました。
 合唱団生活を振り返るとさまざまな思い出や、体験をさせて頂きました。この経験を生かして、自分の夢に向かい素直に努力を重ねて頑張ってゆこうと思います。戸ア先生、廣乃先生、文葉先生、今まで沢山御迷惑をお掛けして参りましたが、合唱団の生活を宝物にしてゆきたいと思います。本当に長い間、ありがとうございました。
◎長谷川人三(母)

娘も十八歳に成長してくれた今、年長さんだった娘の手を引いて初めて、合唱団に入門させて頂いた日が懐かしく思い出されます。
 当時娘は食も細くなんとか元気にさせたいと歌の大好きな祖母の願いもあって団員の一員にさせて頂きました。戸ア先生の厳しい中にも愛情あふれるご指導のおかげで、娘も今では元気に、体格も良く素直で、世間の風潮に流される事なく一本心念を持った娘に成長する事が出来ました。親子共々、色々と勉強させて頂きました。歌には無縁だった私にとりましてコンサートの日が待ち遠しく舞台で歌っている娘が誇らしく、そして又、子供達の歌声は、日々忙しくしている私には天使の声の様で、どれだけ心を癒してくれたかわかりません。そして娘は貴重な、ヨーロッパ演奏旅行に二回も参加する事が出来ました。一時、テロによる旅行直前の中止は子供達にとって忍耐と試練のそして社会情勢に関心を持つという大きな勉強になりました。
 娘と私にとりましてこの十三年間は、長い人生の宝物として、又それを生かして親子いっしょに頑張って行きたいと思います。 おばちゃん先生、戸ア裕子先生、廣乃先生、文葉先生、皆さま本当に長い間お世話になりありがとうございました。

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